コンテンツ番号 | 0125060105 |
表示順 | 5 |
タイトル名 | 作品別 |
内容 | 監督・俳優・スタッフ |
公開可否 | true |
年齢 | 65歳 |
その他 | 「デルス・ウザーラ」の映画化は、ぼくが30年も前から考えていたことでした。まだ助監督だった頃、たまたま探検記が好きで「デルス・ウザーラ」の原作を、読んで、デルスという人物がとても好きになったわけです。ぜひ映画にしたいと、「白痴」を終えたあとだったと思いますが、一度、久板栄二郎さんに話してシナリオを書いてもらったのです。その頃は勿論ソビエトで撮るなんて考えてもみなかったから、舞台も人物も日本に置き換えてやったのですが、どうも面白くない。しょせん日本ではうまくいかないのです。その後、1971年2月、ソビエトのセルゲイ・ゲラーシモフ監督が、来日した時、ソビエトで一本撮る気はないかという話があり、それからその年のモスクワ映画祭に特別出品として「どですかでん」を持って、ぼくがソビエトへ行ったとき、向こうからあらためて、一本撮らないかという話がでたのです。モスクワ郊外のレストランで、日本にきたこともある、レフ・クリジャーノフ監督と会って話をしていたとき「デルス・ウザーラ」をやってみたいと言ったのです。すると向こうは、吃驚して「デルス・ウザーラ」を知っているのか、というわけです。「いやあ、30年も前からずっと考えていた」というと「それならそれがいいじゃないか、実は、すでにソビエトで撮った「デルス・ウザーラ」があるけれども、それはとてもつまらない。黒澤さんが撮るなら勿論、全然違うものができるだろう、それがいい」と、結局、撮ることに決まりました。(キネマ旬報増刊74年、5・7号、黒澤明ドキュメント)レフ・クリジャーノフ監督ーソ連映画人同盟第一書記モスクワ郊外のレストランーアルハンゲリスコエ別冊 「デルスウ・ウザーラ」アルバムにおさめられている。 |
作品名 | 「デルスウ・ウザーラ」 |
撮影年 | 1975(S50) |
公開年 | 1975(S50)/8/2 |
製作会社 | モスフィルム第三共同体(ソ連邦)/アトリエ41(製作協力) |
配給会社 | 日本ヘラルド映画(株) |
文書種類 | アルバム |
書き込み | false |
共同脚本 | ユーリー・ナギービン |
原作者 | ウラジミール・アルセーニエフ 「シベリアの密林を行く」 「デルスウ・ウザーラ」より |
監督名 | 黒澤明 |
場面 | 俳優・スタッフ・来日お迎え |
撮影場所 | 羽田空港 |
俳優 | ラマクシム・ムンズク |
スタッフ | ニコライ・イシゾフ(モスフイルム総裁) 松江陽一(製作) |
人物 | 原正人(配給代表) |
種別 | モノクロアルバム |
イメージサイズ(幅) | 287 |
イメージサイズ(高さ) | 297.2 |
フォーマット | TIFF |
解像度 | 600 |
カラー数 | 24 |
ピクセルサイズ(幅) | 0 |
ピクセルサイズ(高さ) | 0 |