コンテンツ番号 | 012507098 |
表示順 | 98 |
タイトル名 | 作品別 |
内容 | 監督・俳優・スタッフ・撮影風景 |
公開可否 | true |
年齢 | 64-65歳 |
その他 | 「デルス・ウザーラ」の映画化は、ぼくが30年も前から考えていたことでした。まだ助監督だった頃、たまたま探検記が好きで「デルス・ウザーラ」の原作を、読んで、デルスという人物がとても好きになったわけです。ぜひ映画にしたいと、「白痴」を終えたあとだったと思いますが、一度、久板栄二郎さんに話してシナリオを書いてもらったのです。その頃は勿論ソビエトで撮るなんて考えてもみなかったから、舞台も人物も日本に置き換えてやったのですが、どうも面白くない。しょせん日本ではうまくいかないのです。その後、1971年2月、ソビエトのセルゲイ・ゲラーシモフ監督が、来日した時、ソビエトで一本撮る気はないかという話があり、それからその年のモスクワ映画祭に特別出品として「どですかでん」を持って、ぼくがソビエトへ行ったとき、向こうからあらためて、一本撮らないかという話がでたのです。モスクワ郊外のレストランで、日本にきたこともある、レフ・クリジャーノフ監督と会って話をしていたとき「デルス・ウザーラ」をやってみたいと言ったのです。すると向こうは、吃驚して「デルス・ウザーラ」を知っているのか、というわけです。「いやあ、30年も前からずっと考えていた」というと「それならそれがいいじゃないか、実は、すでにソビエトで撮った「デルス・ウザーラ」があるけれども、それはとてもつまらない。黒澤さんが撮るなら勿論、全然違うものができるだろう、それがいい」と、結局、撮ることに決まりました。(キネマ旬報増刊74年、5・7号、黒澤明ドキュメント) |
作品名 | 「デルスウ・ウザーラ」 |
撮影年 | 1974(S49)/4/4 |
完成年 | 1975(S50)/6/13 |
公開年 | 1975(S50)/8/2 |
製作会社 | モスフィルム第三共同体(ソ連邦)/アトリエ41(製作協力) |
配給会社 | 日本ヘラルド映画(現在・角川映画) |
書き込み | false |
共同脚本 | ユーリー・ナギービン |
原作者 | ウラジミール・アルセーニエフ 「シベリアの密林を行く」 「デルスウ・ウザーラ」より |
監督名 | 黒澤明 |
俳優 | ユーリー・サローミン マクシム・ムンズク |
スタッフ | 中井朝一(撮影技師) 野上照代(演出補佐)河崎保(演出補佐)コルシコフ(通訳)パーシャ(撮影助手) |
種別 | モノクロ写真縁あり |
イメージサイズ(幅) | 146.1 |
イメージサイズ(高さ) | 112.9 |
備考 | 現場写真 |
コメント | デルス-NO.49 |
フォーマット | TIFF |
解像度 | 600 |
カラー数 | 24 |
ピクセルサイズ(幅) | 0 |
ピクセルサイズ(高さ) | 0 |