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決定稿02 111
コンテンツ番号 22250102111
表示順 111
タイトル名 作品別
公開可否 true
年齢 63~65歳
その他 撮影現場で使用した台本と思います重要な台本です「デルス・ウザーラ」の映画化は、ぼくが30年も前から考えていたことでした。まだ助監督だった頃、たまたま探検記が好きで「デルス・ウザーラ」の原作を、読んで、デルスという人物がとても好きになったわけです。ぜひ映画にしたいと、「白痴」を終えたあとだったと思いますが、一度、久板栄二郎さんに話してシナリオを書いてもらったのです。その頃は勿論ソビエトで撮るなんて考えてもみなかったから、舞台も人物も日本に置き換えてやったのですが、どうも面白くない。しょせん日本ではうまくいかないのです。その後、1971年2月、ソビエトのセルゲイ・ゲラーシモフ監督が、来日した時、ソビエトで一本撮る気はないかという話があり、それからその年のモスクワ映画祭に特別出品として「どですかでん」を持って、ぼくがソビエトへ行ったとき、向こうからあらためて、一本撮らないかという話がでたのです。モスクワ郊外のレストランで、日本にきたこともある、レフ・クリジャーノフ監督と会って話をしていたとき「デルス・ウザーラ」をやってみたいと言ったのです。すると向こうは、吃驚して「デルス・ウザーラ」を知っているのか、というわけです。「いやあ、30年も前からずっと考えていた」というと「それならそれがいいじゃないか、実は、すでにソビエトで撮った「デルス・ウザーラ」があるけれども、それはとてもつまらない。黒澤さんが撮るなら勿論、全然違うものができるだろう、それがいい」と、結局、撮ることに決まりました。(キネマ旬報増刊74年、5・7号、黒澤明ドキュメント)レフ・クリジャーノフ監督ーソ連映画人同盟第一書記モスクワ郊外のレストランーアルハンゲリスコエ
作品名 「デルスウ・ウザーラ」
撮影年 1974(S49)/4/4
完成年 1975(S50)/6/13
公開年 1975(S50)/8/2
製作会社 モスフィルム第三共同体(ソ連邦)/ アトリエ41(製作協力)
配給会社 日本ヘラルド映画(現在・角川映画)
文書種類 台本(決定稿)
原本区分 印刷
記述区分 黒澤明直筆
書き込み true
共同脚本 ユーリー・ナギービン
原作者 ウラジミール・アルセーニエフ 「シベリアの密林を行く」 「デルスウ・ウザーラ」より
監督名 黒澤明
種別 台本
イメージサイズ(幅) 332.9
イメージサイズ(高さ) 253.3
フォーマット TIFF
解像度 300
カラー数 24
ピクセルサイズ(幅) 0
ピクセルサイズ(高さ) 0